2009年01月14日
矢 の個人的意見弓張岳戦前の開発
弓張岳観光の歴史について
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弓張岳の観光開発は、戦前の鵜渡越開発期と、西海国立公園制定時の山頂開発期の2エリア2期に大別できる。
軍港を見下ろすことなく、九十九島の絶景を見下ろせる絶好の観光スポットとして見出されたのが、弓張岳六合目の鵜渡越であった。1916年(大正5年)、道路開発調査のために鵜渡越を訪れた実業家の松尾良吉が九十九島の絶景を発見し、観光地化を思い立ったと北村徳太郎は語っている。松尾は伊万里市の畜産業者で、佐世保で牛車による運輸請負で財を成し、さらには道路建設や道路標識設置などに手を広げて運輸流通業に貢献している。鵜渡越探索を機に松尾は観光地建設に没頭し、弓張岳観光のルーツとなったとして、北村は松尾を顕彰しているのである。北村らが発起人として建立した松尾の顕彰碑は、うど越バス停前の広場に現存する。
松尾が開発した旧ルートは、現SSKバイパス沿いの御船保育所前からほぼ一直線に昇る1車線の細い道である。戦前は石畳敷きで桜並木が整備され、駕籠担ぎも待機していた通称「桜道」であった。舗装は市道との合流点で途切れるが、旧道はさらに続いており、親鸞上人像が建つ広場まで続いている。ここまでは「扶老坂」の通称がある。1918年(大正7年)から3年半にわたって佐世保鎮守府司令長官を務めた財部彪大将が、母に九十九島を見せるために背負って登山したニュースを伝え聞いた松尾が命名したものである。1923年(大正12年)に財部が海軍大臣に就任した頃には、このエピソードを元に歌まで作られ、その名が広まっている。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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